2025(令和7)年度東京教区仏教壮年会連盟研修会に参加して
長生寺仏教壮年会からの便り
下記の通り研修会に参加しました。
【開催概要】
1.開催日時 2025(令和7)年10月2日(木) 9時~15時30分
2.開催場所 親鸞聖人の茨木の足跡を訪ねて(稲田の草庵近辺の寺院を訪問)
3.参加人数 22名
4.スケジュール
・09:00 常磐線 友部駅北口 集合
・09:40 茨城東組大覚寺 着 寺院見学 住職のお話
・10:30 茨城東組大覚寺 発
・11:00 稲田西念寺 着 寺院見学 住職のお話
・11:50 稲田西念寺 発
・12:00 そば処 のざわ 着 昼食
・12:30 そば処 のざわ 発
・12:45 みちの駅かさま 着 ショッピング
・13:10 みちの駅かさま 発
・13:30 酒蔵 須藤本家 着 お酒の試飲
・15:20 酒蔵 須藤本家 発
・15:35 友部駅北口 着 解散
■ 夜明け前の京急線、そして常磐線へ
三浦半島から茨城県の友部駅へ向かう研修は、夜明け前の京急線から始まりました。午前五時三十二分発、まだ周囲は漆黒の闇に包まれていました。初めて体験する早朝の出発は、それだけで楽しいことの始まりを感じさせました。インターネットで調べた品川始発の常磐線という情報に救われ、無事に列車を乗り継いで向かうことができました。
午前八時半、約束の時間よりも早く友部駅に到着しました。茨城や埼玉からの参加者は先に到着されていました。ここからバスに乗り込み、親鸞聖人の足跡を辿る一日が幕を開けました。


■ 憎悪が慈愛に変わった場所:大覚寺と弁円の物語
まず最初に訪れたのは、弁円(べんねん)の逸話で有名な板敷山・大覚寺(いたじきさん・だいかくじ)。お寺の近くに板敷山という山があり、そこで山伏の弁円が修業をしていたということでした。
親鸞聖人説法石という平らな石も残っており、そこで弁円と35人の山伏たちが親鸞聖人の説法を聴いたのだそうです。
■ 弁円の逸話
親鸞聖人の教えの広がりを妬み、聖人の命を狙った弁円。板敷山で待ち伏せをし、ついには白昼堂々、刀を手に草庵に乗り込んだといいます。
弁円は決して極悪人ではありません。呪術で民衆を救おうとしていた弁円にとって、民衆の心が聖人に向かうのは屈辱だったのです。
しかし、聖人の説法を聴き、その慈愛に満ちた眼差しと聖人の深い教えに触れたとき、弁円は刃を収め、弓を折って涙を流したのです。
感銘を受けた弁円は、聖人から「明法房(みょうほうぼう)」という名をいただき生涯にわたり教えを広めました。法専寺(ほうせんじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、明圓寺(みょうえんじ)は弁円の開基の寺と言われています。





■『教行信証』を生んだ稲田禅房・西念寺
住職の「伝説がたくさん残っていることが、長い間滞在されていた何よりの証拠です」というお言葉に納得しました。聖人がお手植えになったというお葉付き銀杏や、法要を告げたという太鼓堂。
住職から親鸞聖人が、なぜ稲田の草庵で布教活動をするようになったのかというお話もありました。
宇都宮氏の当主であった宇都宮頼綱は、法然上人の弟子のひとりで、宇都宮と稲田は地理的にも近く宇都宮氏から何らかの支援があったということでした。稲田と言う静かな土地は、『教行信証』の構想を練るための絶好の場所だったと思います。
そして、稲田を離れる際に別れを惜しんだという見返り橋のほとりに彫られた句は、心に沁みました。
未来での再会を信じる親鸞聖人の力強い言葉は、別れを悲しむ門弟たちへの、最高の贈り物だったに違いありません。





■ そば処 のざわで昼食
西念寺を出て、昼は、手打ちそばをいただきました。急遽、みちの駅に寄ることになったので30分で食べることになりました。近くにはそば畑が広がっていますので、そこでとれたと思われる新鮮なそばが出てきました。太めのそばで、風味があって味は格別でした。


■ みちの駅かさまで栗三昧